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ソビエト軍はレニングラードの包囲網を突破し

この年の1月、ソビエト軍はレニングラードの包囲網を突破し、900日間におよぶドイツ軍の包囲から解放した。4月にはクリミア、ウクライナ地方のドイツ軍を撃退、6月22日からはバグラチオン作戦が行われ、虚を突かれたドイツ中央軍集団は後退。ソ連はほぼ完全に開戦時の領土を奪回することに成功し、更にバルト三国、ポーランド、ルーマニアなどに侵攻していった。 1944年8月1日、ポーランドの首都ワルシャワでは、ソ連軍の呼びかけによりポーランド国内軍やワルシャワ市民が蜂起(ワルシャワ蜂起)するが、亡命政府系の武装蜂起であったためソ連軍はこれを救援せず、一方ヒトラーはソ連が救援しないのを見越して徹底鎮圧を命じ、その結果約20万人が死亡して10月2日、蜂起は失敗に終わった。

一方、本格的な反攻のチャンスを伺っていた連合軍は6月6日、アメリカ陸軍のドワイト・アイゼンハウアー将軍指揮の元、北フランスノルマンディー地方にアメリカ軍、イギリス軍、カナダ軍、そして(1940年以降ロンドンにあったフランス亡命政権「自由フランス」の指導者シャルル・ド・ゴール将軍率いる)自由フランス軍など、約17万5000人の将兵、6,000以上の艦艇、延べ12,000機の航空機を動員した大陸反攻作戦「オーバーロード作戦」(ノルマンディー上陸作戦)を開始。多数の死傷者を出す激戦の末、上陸を成功させた。1940年6月のダンケルク撤退以来約4年ぶりに西部戦線(フランス戦線)が再び構築された。この上陸の2日前、6月4日にはイタリアの首都ローマが解放された。
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敗北を重ねるドイツでは、ヒトラーを暗殺し連合軍との講和を企む声が強まり1944年7月20日、国内予備軍司令部参謀長伯爵クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐らによるヒトラー暗殺計画が実行されたが失敗した。疑心に苛まれたヒトラーは、反乱グループとその関係者約7,000人を逮捕させ、約200人を処刑させた。また、北アフリカ戦線の指揮官で国民的英雄でもあるエルヴィン・ロンメル元帥の関与を疑い、自殺するか裁判を受けるか選択させた上で10月14日、ロンメルは自殺した。[10]

ノルマンディーのドイツ軍は、必至の防戦により何とか連合軍の進出を食い止めていたが、7月25日のコブラ作戦で、ついに戦線は突破され、ファレーズ付近で包囲されたドイツ軍は壊滅的状態になった。8月には連合軍はパリ方面へ進撃を開始。また8月16日には南フランスにも連合軍が上陸している(ドラグーン作戦)。8月25日、自由フランス軍とレジスタンスによってパリは解放された。その際、ドイツ軍はパリを戦禍から守るべくほぼ無傷のまま明け渡したため、多くの歴史的な建築物や、市街地は大きな被害を受けることはなかった。フランスが解放された事により、親独ヴィシー政権は崩壊。指導者フィリップ・ペタン将軍は逮捕され、その後死刑判決を受けた。また、ドイツ軍の占領に協力したいわゆる「対独協力者」の多くが死刑になり、何人かの者は国外に逃亡した。また女性は頭髪を丸坊主にされるなどの制裁を受けた。

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2009年06月25日 01:03に投稿されたエントリーのページです。

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