Su-9(スホーイ9、スホイ9;ロシア語:Су-9スー・ヂェーヴャチ)は、ソ連のスホーイ設計局で開発された迎撃戦闘機(Истребитель-перехватчик)である。1960年代にソ連の防空軍の主力機として使用された。
高高度で領空に侵入してくる偵察機・情報収集機の迎撃を主要任務とした。当時のソ連では、最速のそして最も高い高度を飛行できる最高性能の戦闘機であった。運用現場では、その主翼の形状から「三角帽」、「バラライカ」と渾名された。U-2撃墜事件の際に迎撃に上がった機体として話題にのぼることも多い。北大西洋条約機構(NATO)では、識別のためSu-9に対し「フィッシュポット」(Fishpot)というNATOコードネームを割り当てた。
ソ連の航空機技術者であったベラルーシ人のパーヴェル・オーシポヴィチ・スホーイは、第二次世界大戦中はSu-2の開発などで知られたが、政治的な事情もありあまり大きな業績を残すことはできなかった。スホーイはエルモラーエフの設計局で行われていた双発ジェット機の開発を引き継ぎ、戦後にはSu-9 ?K?を成功裏に飛行させたが、この機体も、またその発展型も量産化を認められなかった。加えて、大型後退翼機のSu-15 ?P?の墜落、Su-17 ?R?の開発失敗を拠り所にソ連中央よりサボタージュを行ったとして批判され、設計局は閉鎖が命ぜられた。
後退翼とデルタ翼
スホーイに再びチャンスが巡ってきたのは、マッハ 2クラスの新型大型戦闘機の開発に際してのことであった。1953年3月、スホーイに航空産業省第1設計局(OKB-1;ОКБ-1)の設計主任の任に就くよう指令がおりた。当時、他局を押しのけて主要な戦闘機設計局となっていたミグ設計局は空軍の主力戦闘機となるべき小型の超音速前線戦闘機の開発で手一杯であったため、スホーイに大型の前線戦闘機と防空軍向けの迎撃戦闘機の開発が命ぜられた。これらスホーイの大型機は、ミグの小型機よりも大きな収容力を生かしてより高い能力を持つ機体としての完成が期待された。設計局は、その年の末に自身の根拠地となる第51工場を受給された。
当時はどの国でも超音速における航空技術に関してはまったくの暗中模索というような状態であった。ソ連では、その中でも特に「後退翼」か「デルタ翼 (三角翼)」かという議論に結論が見出せないでいるところであった。そのため、ミグ、スホーイ両設計局には同じ胴体・尾翼を利用してそれぞれの翼型を持った機体を試作することが命ぜられた。
このときミグで開発されたデルタ翼機は、のちに超音速機としては最大の生産数を達成することとなるMiG-21シリーズへと発展した。後退翼機(Ye-2)は量産されなかった。ともに空軍へと配備されることになる同クラスの戦闘機が平行して生産される必要はなかったためであるといわれる。一方、スホーイで開発された後退翼機S-1、S-3のうち前線戦闘機として開発されたS-1は、目標通り大型の前線戦闘機Su-7として完成した。Su-7シリーズは、次のSu-7B以降ソ連初の本格的戦闘爆撃機へと発展した。Su-7シリーズは、ソ連空軍をはじめワルシャワ条約機構諸国やアジア・アフリカ諸国で多数が配備された。
一方、これと同じ機体を持つデルタ翼機T-3(Т-3)は、防空軍向けの迎撃戦闘機として設計された。「T」(テー)は、ロシア語で「三角形の」を意味する形容詞「треугольный」(トリウゴーリヌィイ)を表している。また、デルタ翼の研究機は「トレウゴールカ」(Треуголкаトリウゴールカ:「正装用の三角帽」のこと)と渾名された。のちにSu-9と命名されることとなるこの機体は、姉妹機のSu-7とともにスホーイ設計局の復活を担った重要な機体となったといえる。
T-3は1954年、後退翼機S-1やS-3と同時期に設計局で開発が始められた。T-3に平行して、前線戦闘機型となるT-1も設計されたが、こちらはS-1の採用を以って開発中止となった。一方のT-3の開発は、先に開始されたS-1の開発を追い越し進行した。
T-3の開発
T-3の機体は、中央航空流体力学研究所(TsAGI)の研究をもとに設計された基本構造をもっていた。平行して開発されたのちのMiG-21も同じ研究をもとに設計されたため、両者はよく似た構造をもつ機体となった。
T-3は当初、「アルマース」(Алмаз:「ダイヤモンド原石」の意味)レーダーを搭載する機体として設計された。これは電波の測距部と捜索部が分かれた電波探知装置(レーダー・ステーション) で、そのためT-3は特異な形態の機首をもっていた。T-3初号機は、「アルマース」レーダーの派生型のひとつである「アルマース3」(Алмаз-3)を搭載して完成された。測距用アンテナのレドームは超音速飛行向けに先端を尖らせたものとなっており、従来のソ連機に範を得た円筒形の空気取り入れ口となった機首の上面に設置されていた。一方、捜索スキャナーのレドームは小型で先端の丸い形状のものであった。T-3はA・リューリカ=サトゥールン製ターボジェットエンジンAL-7F(АЛ-7Ф)1基を搭載した。T-3は1956年に初飛行を果たし、トゥーシノの航空パレードで同機を「発見」したNATOはこの未知の機体に対し「フィッシュポットA」(Fishpot-A)というコードネームを付与した。
レドームを装備したT-3やMiG-19P/PMでは、空気取り入れ口へのコーンの設置がMiG-19Sのようにたんなる円筒形の空気取り入れ口をもつ機体形態より飛行速度を無理なく高めることに貢献することが偶然にも明らかになった。そのため、Su-9以降のソ連戦闘機では円筒形の空気取り入れ口の中央に外部圧縮型のノーズコーンを設置する方式が多く採用されるようになった。ノーズコーンは斜め衝撃波を生むことから空気取り入れ口に押し込まれる空気の圧力損失を少なくするというショックコーンの役割を果たしており、このショックコーンが航空機の超音速突破へのひとつの鍵となることはスホーイに超音速迎撃戦闘機の開発の命ぜられた1953年当時には一種公然の秘密であった。機首に空気取り入れ口を設けてノーズコーンを取り付けるこの方式は飛行性能的にはたいへん優れており、もっとも効率的な形態であるともいわれている。しかしその反面、コーン内のスペースが限られるためレーダー等の機器の搭載が困難となり、ソ連機はノーズコーンの改良と大型化の試行錯誤を続けることとなった。オイルショックを契機に電子機器の小型化・効率化が推進される1980年代まで、電子機器の性能の高さは機械の大きさに比例するといってもよいほどで、そのためより高度のレーダーなどを装備しようとした場合それ相応の大きな設置スペースが必要となったのである。飛行性能がよくまた手馴れた機体構造であった機首空気取り入れ口に拘ったミグやスホーイなどソ連の各設計局では、他国では見られないような様々な形状のノーズコーンが試作された。また、それを搭載する多くの試作戦闘機も設計され、それらの多くはそれなりの飛行性能を発揮した。だが、やはりこうした改良作業では限度があり、それらの多くは量産の日の目を見なかった。より抜本的な解決が求められた結果、結局は西側のF-4ファントムIIに範を置いたような胴体両側に空気取り入れ口を設置する形態へと流れていった。なお、電子機器の小型化の進んだ現在では小型のノーズコーン内にも高性能のレーダーを搭載することが可能となっており、近代化改修されたMiG-21などは効率のよい機体構造による高い飛行性能と高性能のレーダーによる優れた攻撃能力を持ち合わせた有力な戦闘機となっている。
その後、改良型の「アルマース7」(Алмаз-7)を搭載する研究機PT-7(ПТ-7)が製作されたが、この機体では空気取り入れ口内に設置された捜索スキャナーのレドームは下方へ向かい先端が尖ったものに変更されていた。ソ連ではいまだ測距部と捜索部を統合する技術が開発されておらず、この機体に搭載された「アルマース」も相変わらず電波の測距部と捜索部が別になっていた。そのため、PT-7の機首の外見はまるで口を開いた鳥の嘴のようであった。この機体では、兵装としてK-7LまたはK-5及びK-5Mをもとにして開発されK-6V空対空誘導ミサイル(ロシア語では「ミサイル」ではなく「ロケット」と呼ぶ)を搭載する予定で試験が行われた。しかし、当時ソ連が保有していたレーダー・ステーションとそれに組合される兵装はいずれも満足のいくものではなく、「アルマース」を搭載した実用化研究機であるこのPT-7やPT-8(ПТ-8)もそれら自体は失敗作に終わった。とはいえ、これらの機体の研究で得た経験や成果はその後の機の開発に大いに生かされることとなった。
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T-43での研究
設計局名称T-43(Т-43)と呼ばれた大型デルタ翼機は、1958年前半期に量産化に向けた開発機であったPT-8をベースに製作された。T-43シリーズはT-3シリーズのひとつに数えられている。T-43はまずT-43-1からT-43-6まで6つの機体が製作され、それらにはAL-7Fの改良型で当時ソ連最大の出力をもっていたAL-7F-1(АЛ-7Ф-1)1基が搭載された。
T-43 の開発当時ソ連にあったレーダー・ステーションは、従来のMiG-17PF/PFUやMiG-19P/PM迎撃戦闘機に搭載されていた「イズムルート」(Изумруд:「エメラルド」の意味)またはRP-1(РП-1)、RP-2(РП-2)および改良型のRP-5(РП-5)と呼ばれる小型で電波発信部と受信部が分離されている形態のもの、Yak-25迎撃戦闘機に搭載されていた「ソーコル」(Сокол:「鷹」の意味)またはRP-6(РП-6)と呼ばれる大型のもののわずか2系統のみであった。いずれのステーションも、新しい迎撃戦闘機への採用には不適であった。イズムルートは小型かつ形状が特異で発展性に乏しく、逆にソーコルはあまりに大きすぎてT-43への搭載は困難であった。当時ソ連でレーダー開発を行っていた唯一の機関であった第17モスクワ科学試験研究所(NII-17)では、新しいレーダー・ステーションである「ウラガーン」(Ураган:「突風」の意味)と「パンテーラ」(Пантера:「豹」の意味)の開発を進めていたが、それらの計画は遅々として進まなかった。そこにきて、軍事産業省の第1設計局で新たなレーダー・ステーションの開発が行われていることが明らかになった。有翼の空対地ミサイルのシステムに関する研究の中心であったこの設計局では、主任のA・A・コーロソフ(А.А.Колосов)を中心に、十分にコンパクトなレーダー・ステーションTsD-30(ЦД-30)が完成された。TsD-30には、ピョートル・ドミートリエヴィチ・グルーシン(Петр Дмитриевич Грушин)の率いる航空産業省(MAP)第2設計局(グルーシン設計局)で開発された空対空誘導ミサイルシステムK-5(К-5)の運用能力が確保されていた。また、TsD-30は「ヴォーズドゥフ1」(Воздух-1:воздухは「空気」の意味)自動誘導装置を搭載し、この装置は低高度目標への攻撃能力を大幅に高める役割を担った。発信部と受信部を統合するシステムが開発され、このレーダー・ステーションの寸法はT-43の可動式ノーズコーンに無理なく収納できるものとなった。この派生型のおかげで、1957年までにソ連で制式武装に採用された空対空誘導ミサイルは唯一K-5だけであると言われた。その後、改良型のK-5M(К-5М)や1957年10月にMiG-19PMにおける検査試験を成功裏に完了したK-5MS(К-5МС)がTsD-30の主要運用兵装とされた。のちに、K-5はRS-1U(РС-1У)、K-5Mは RS-2U (РС-2У)、K-5MSはRS-2US(РС-2УС)にそれぞれ改称された。
T-43シリーズではレーダーシステムの試験のほか機体の飛行特性の試験も行われた。その過程で、T-43-1のノーズコーンにはESUV-1(ЭСУВ-1)電気水圧システムが追加搭載された。1960年1月には、T-43の高い速度及び高度性能に比例して増加する燃料消費量を賄うために翼内にもインテグラル式燃料タンクを設置した機体としてT-43-12(Т-43-12)が開発された。インテグラル式燃料タンクを機体構造に組み込んだのは、この機体が世界初となった。その後、西側各国でも機内燃料タンクのインテグラル化が進められた。だが、翼内にまで燃料タンクを設置した戦闘機はあまり例がない。これは、T-43がよほど燃料を大量に消費したことと、それに対処するために設計者が大いに努力を行ったことの表れである。各種試験においてT-43は高い評価を得、その研究成果は量産へ向けたT-3の完成に反映されることとなった。
Su-9-51の完成
1957年11月28日の定期の政府決定では、第51設計局(スホーイ設計局)へAL-7F-1装備のT-3へのTsD-30とK-5MSの艤装が命じられた。1958年4月にT-3-51が、TsD-30とK-5MSミサイルを搭載する試作機として完成された。T-3-51は、1958年3月に初飛行した後退翼の姉妹機Su-7と主翼以外はよく似た形状の機体デザインに落ち着いたが、レーダー・ステーションを搭載したため機首はSu-7よりも若干延長されていた。なお、T-3-51に平行して「ソーコル2」をもとに開発されたレーダー・ステーション「オリョール」(Орел:「鷲」の意味)を搭載するT-3-8M(Т-3-8М)も開発された。この機体はK-5MSよりはるかに優れたレーダー誘導または赤外線誘導空対空K-8M(К-8М)を搭載した。1958年から1960年にかけて、これらの機体は設計局で実用試験に入り、それぞれ各種の変更を経て量産化へと向かっていった。T-3-8MはT-47となり、のちSu-11として完成された。
1960年10月、最終的にT-3-51がSu-9-51(Су-9-51)として制式採用に漕ぎ着けた。機体はSu-9(Су-9)と命名された。一方、搭載するレーダー・ステーションTsD-30T(ЦД-30Т)はRP-9U(РП-9У)、K-5MSミサイルはRS-2USという正式名称を付与された。Su-9-51に対し、NATOは「フィッシュポットB」(Fishpot-B)というコードネームを付与した(資料によってはT-43に対して付与したことになっている)。このコードネームは、量産型のSu-9にも引き続き使用された。